■さ行のことわざ
●三界無安
三界(欲界・色界・無色界)はいずれも苦悩や愛慾の域を出ないから、どこへ行っても安楽を得られないという意。
●三人寄れば文珠の知恵
愚かな者でも、とにかく何人か集まって相談すれば、それなりによい分別もわいてくる。文珠は智慧を司る菩薩として名高い。
●山門から喧嘩見る
「高見の見物」と同じ。仏寺の山門のように安全で静かな場所から、巷の喧嘩騒ぎを眺めること。
●地獄極楽は心にあり
この世は心のもち方一つで、地獄の苦しみと感じたり極楽の喜びと感じたりするもの。死後やあの世ばかりにあるのでなく、人それぞれの生き方の中にも苦楽はあるとする喩え。
●地獄で仏
危難の中で苦しい時、思わぬ援助があってホッとする気持。まるで地獄で仏の出現を得たような感じに喩えたもの。
●地獄の沙汰も金次第
この世はすべて金ずく次第、どうにでもなることの喩え。きびしい閻魔大王の裁きの庭でさえ、鬼に袖の下を使えば刑罰も少しは手加減してもらえるだろう、との考えから。「人間万事金の世の中」も同じ。
●釈迦に説法
身のほど知らずの増上慢で、自分よりずっとすぐれた人にまで法を説く無益なおせっかい。
●知らぬが仏
目で見、耳で聞くにしても、知るからこそ悲喜交々の目にあう。いっそ何も知らなければ、仏のような平静な心境でおられるものを、という戒め。「知らぬが仏見ぬが秘事」も類句。
●心頭を滅却すれば火もまた涼し
精神のもち方一つで、苦しみ痛みもそうでなくなるとの戒め。信長に火を放たれた恵林寺(武田家菩提寺)快川和尚の火中の遺偈から。
●善悪は地獄極楽
人の心の善悪が、地獄の苦や極楽の楽をこの世に現出させるので、決して死後だけに地獄や極楽があるわけではないという戒め。相手の態度もこちらの仕向け方次第で、鬼にも仏にもなる。
●袖すり合うも他生の縁
ちょっとしたことでも、前世の因縁によっているという意。例えば、路上で見知らぬ他人と袖がふれあうようなことでも、因縁の結びつきによるものだ、とする。
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