■か行のことわざ
●餓鬼の断食
餓鬼は断食などしなくても、やせ衰えている。だのに当然のことを、ことさら誇らし気にいいふらすのは、餓鬼が断食するようなもので、大人気ない。
●餓鬼の目に水見えず
いつも喉のかわきを訴え、水欲しさに苦しんでいる餓鬼は、そばに水があっても、かえって気づかず見落してしまう。そのように、あまり熱中すると、肝心の求める物さえ手にすることができない喩え。
●門松は冥途の旅の一里塚
「めでたくもありめでたくもなし」と続く一体禅師の作と伝える狂歌の上半句。正月を祝って立てる門松も、死への旅路の一里を刻む道路標にすぎない、と思えば生きることのありがたさが一層痛感される。
●金の光は阿弥陀ほど
阿弥陀さまの光は無量光といわれるほど大きくはてしないが、金銭の力はそれと同じくらい威力がある、という喩え。
●借る時の地蔵顔返す時の閻魔顔
借金する時は喜んで笑顔だが、いざ返すとなると渋い顔つきになるのを地蔵と閻魔の顔に喩えたもの。恵比寿や十王にも喩える。
●聞いて極楽見て地獄
聞くと見るとは大違いで、たいていの場合、耳にしていた話よりも、実際に目にした時のほうが悪い、というのが通り相場。
●九年面壁
一つのことに辛抱強く、長期間心を傾けること。達磨大師が少林寺で修行に際し、絶壁に面して9年間も坐禅したという故事に基づく。
●下駄も阿弥陀も同じ木のきれ
もとは同じ木から作られるものでも、一方は下駄、他方は仏像となって、末は上下の大差を生ずるというたとえ。人の出世の戒め。
●弘法筆を選ばず
名人といわれるほどの人は、一々道具選びをしないの意。弘法大師は嵯峨天皇、橘逸勢と並ぶ天下の三名筆といわれた人であるから筆のよしあしなど問題にせず、どんな筆を使っても上手に書いたという。
●弘法も筆の誤り
名人や達人といえども、時には失敗をしでかすことがある。「猿も木から落ちる」「河童の川流れ」「上手の手から水が漏れる」など、類句も多い。弘法大師が応天門の扁額を書く時、一字誤った故事から。
●子供と仏は無欲なもの
子どもは正直で、大人のような欲のない純心さは仏同様である。
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