■あ行のことわざ
●会うは別れの始め
どんな人間でも、会えば必ず別れなければならない。「生者必滅・会者定離」は人生四苦八苦の一つ。
●朝女朝坊主
商人が口にする縁起かつぎの言葉。朝っぱらから買物にくる客の中に女性や僧侶がまじっていると、その日は客足多しと悦に入った。
●化野の露鳥辺野の煙
化野(あだしの)も鳥辺野(とりべの)も、京都にあった昔の火葬場のこと。死者を葬ることにことよせて人生の無常を語る。
●以心伝心
心と心で通じあうこと。本当の悟りは、文字や言葉などによって伝えられるものではない、という禅の極意。「拈華微笑」の故事あり。
●一蓮托生
生死を共にすることから、結果の如何を問わず、行動・運命を同じくする状態に使う。死後、極楽で同じ蓮の上に半座を分けて身を托するという意味から成る。
●意馬心猿
人間の煩悩や欲情が抑えがたいこと。馬が走り猿が騒ぎ出すと、なかなか止めにくいのを、心の動きに喩えたもの。
●色観音に取持地蔵間男薬師
人間の欲望ほど身勝手なものはなく、仏の名をかりて、世の中にろくでもないものをつくり出す喩え。色事の成就、恋の取り持ち、密通の世話など、仏菩薩がするはずもないのに、引き合いに出したがる。
●鰯の頭も信心から
信仰心さえあれば、第三者の眼からはつまらぬものでもありがたくなる。節分に鰯の頭を柊の枝にさして戸口にかざり、「鬼やらい」のための迷信とした風俗から。
●有為転変の世の習い
この世は刻々に移り変り、常住不変のものは何一つないのが常。浮世の万物流転こそ存在するものの真の姿であることを悟るのがよい。
●牛にひかれて善光寺詣り
信仰心のない者でも、偶然の縁で他の強い力によって信心の世界に入ることができること。転じて、いやいや人と行動を共にすることに使う。『今昔物語』の縁起話に典拠をもつ。
●馬の耳に念仏
「馬耳東風」と同じ。いくらありがたい念仏の声を馬にきかせても分らないように、貴重な忠告や意見をしてやっても、少しも感じないさまをいう。「犬に論語」「猫に小判」などの類句も多い。
●縁と命は繋がれぬ
人の命は一度切れたが最後、二度とつなぐわけにはいかないように、縁の糸も、切れたらおしまい。両方とも大事にすべき戒め。
●縁は異なもの味なもの
夫婦となるべき男女の結びつく縁の不思議さをいう。
●親の因果が子に報い
善因善果、悪因悪果は仏教の基本的教えであるが、親が善悪の種子を宿すと、それがそのまま子に影響することを戒めたもの。
●親の夜歩き子の看経(かんきん)
物事がまるっきりひっくり返って、あべこべである喩え。親が夜遊びしている間、子は殊勝にも家にこもってお経を読んでいる。
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