







![]() ■目でみる仏教
●仏像とは
釈尊在世当時には仏像を拝む習慣はなかったが、入滅後、四大聖地に仏塔が建てられ、釈尊の足跡をしのぶ仏足石や菩提樹がシンボルとして彫られ、初期仏教時代の人々が釈尊をしのぶよりどころとした。釈尊入滅から400~500年たってから、インド北部やガンダーラ地方で釈尊像が作られるようになったのが仏像のはじまりである。以後、信仰の対象のみではなく、仏教にまったくかかわらない人びとの間にも、みる仏教として華やかな発展をとげたのである。
●仏像の形は一定ではない
仏像には、仏の姿を具現するためにさまざまな制作上の規定がある。これを儀軌という。儀軌には32相80種好ある。芸術上の彫像との違いは、この儀軌によって区別される。儀軌とは経典の説くところをなぞらえた格好を意味し、各時代の経典に忠実に仏像は制作・発展してきたものである。
●仏像の種類
仏像を釈尊中心に考えてみると、歴史的に4つに大別される。①釈迦像、如来像 ②菩薩像 ③天部像 ④明王像となる。釈尊・如来像は真理に到達しているさまざまな仏陀の姿である。菩薩像とは、真理に到達して修行している人びとで、もうすぐ仏陀になれるという仏である。天部像とはバラモン教にあったさまざまな神、守護神が仏教と習合して仏教信仰に入ったもの。明王像とは密教特有のもので、大日如来の化現である不動明王から、孔雀の神格化された孔雀明王まで、複雑な様式をもっている。明王部のもつ憤怒の形相は、教化しにくい衆生をおどかしつつ信仰に目ざめさせようとするもの。天部同様にインドの民間信仰からとり入れられたものである。
●仏像における三尊形式とは
中心になる仏像である中尊と、左右に二尊の仏像を共に祀ることを三尊形式という。三尊形式のなかでも一つの光景の中におさまっているものを「一光三尊仏」と呼ぶ。中尊となるのが釈迦仏の場合、普賢菩薩、文殊菩薩を伴って「釈迦三尊」といい、阿弥陀仏が観音菩薩、勢至菩薩を伴うと「阿弥陀三尊」、薬師仏が日光・月光両菩薩を伴うと「薬師三尊」となる。この伴う二尊を脇侍という。
●仏像の印相とは
仏像は必ず両手の形、指の格好、置き方、位置が決められており、これを印相、または手印という。指の位置や形によって教えを表すブロックサインともいえる。釈迦如来の印相は、一般的には、右手を上げて左手を下げた「施無畏印」と「与願印」である。施無畏印とは如来の救済を示すもの、与願印とは慈悲を表す。如来像でも「智挙印」を結ぶ金剛界の大日如来と、「法界印」を結ぶ胎蔵界の大日如来とがある。阿弥陀如来の印相は「九品印」といい、九種の印相を結ぶ。上品、中品、下品にそれぞれ上生、中生、下生かあって合計九種類となる。これは衆生が浄土に生まれ変わる時、生前の善行や信心によって等級があるという浄土教から来るものである。
●なぜ蓮の花なのか
仏像の台座でもっとも一般的なのが蓮花座である。この蓮花座からの連想で、極楽に生まれかわったものは、仏と同じ蓮の花の上に座れると信じられている。極楽には蓮の花が咲いていると経典にも書かれ、仏教ではとくにこの花を大切にしている。蓮は泥土にその根をもち、泥水をくぐりぬけて水面に花を咲かせるが、花は泥にそまらず独自の美しさを誇る。この花と同様に、現世は煩悩と汚れの泥土にあるが、悟りを得ることによって花を咲かせることができるとし、教義を代表する象徴的な花として大切にしている。蓮華には青蓮華を加えて五種類あるが、プンダリーカという白蓮花が一番重んじられている。
●仏画とは
仏画とは仏教関係の絵画をさしていうが、一般に仏画というときには礼拝の対象や、教義の内容をあらわして教化を目的にして用いたり、修法に使われるものをさす。そのため信仰面から仏画を分類すると、四つに大別することができる。①顕教画=釈尊関係の図が中心で、釈迦三尊図や釈迦の一生や前生を描いたものとして釈迦八相図や涅槃図などがある。他に法華経からは普賢菩薩図、中国五台山信仰からおこった文殊渡海図など密教、浄土教、禅宗以外の仏画を総括して含む。②密教画=加持祈祷における様々な修法の本尊として描かれたもので、複数の顔や手を持つ多面多臂の像で憤怒の表情が特徴である。それらの像を中心として他の諸尊像を配する曼陀羅は、中心の尊像の名をつけて大元帥明王曼陀羅といい、これらを総称して別尊曼陀羅という。密教の根本経典である大日経と金剛頂経を表す両界曼陀羅、密教画は特に有名である。③浄土教画=阿弥陀の住む西方極楽浄土の様子を描いた当麻曼陀羅の浄土変相図と、阿弥陀が信者を来迎する阿弥陀来迎図が中心となる。この反対に地獄の様子を描いた地獄草子、餓鬼草子、地獄図、十王図等がある。④禅宗図=達磨図や宗派の高僧を描いた頂相が中心となる。禅宗では釈迦を本尊とするため、出山釈迦図、定印釈迦図等、特殊な釈迦図をみることも多い。
●七堂伽藍とは
伽藍とは梵語で「サンガアーラーマ」という。もともと僧侶が集まって修行するところであったが、後に寺院建築物をさして呼ぶようになった。奈良時代の寺院建築は次の七つの建物から成りたつ。①金堂-本尊仏をまつるところ。②塔-仏舎利をおさめる三重、五重の塔③講堂-経典講義や法要を営む所④鐘楼-鐘つき堂⑤経蔵-経典類を収める所⑥僧坊-僧侶の住居⑦食堂-僧侶に食事を供するところ。禅宗では呼称が異なり、山門、仏殿、法堂、方丈、浴室、東司、食堂を七堂伽藍と呼ぶ。真言宗では僧坊と食堂がなく、中門、大門が加わって七堂伽藍となる。平安時代以降に仏教が民衆にも信仰されるようになると、寺院の内に庭がとり入れられ、金堂は講堂と合体して本堂となり、七堂伽藍にはない庫裡や書院が造られ、信徒との応接をし住職の住いとなった。鎌倉時代になると境内の庭はいっそう盛んに美しくなる。これは極楽浄土や禅の悟りをあらわすためであり、寺院様式と庭園技術とが自然に建築の総合美をもたらしている。
●庭園
寺院庭園には、日本庭園の基本的なものがことごとく盛りこまれている。厳密にいえば貴族や武家の邸宅園池が寺院園地になったものも多く、寺院庭園が個人所有の庭園にまさっているのは、維持伝承が僧位にあったからといえる。庭の要素として水は大きな位置を占める。寝殿造り系
の庭は池を中心とし、建物からやや離れて設け、池の中心に中島を作って橋をかけた。後に寝殿は仏殿、阿弥陀堂などに変わり、浄土思想を表現する池庭へと転じた。浄土の庭は弥陀の世界を具現化しようとした庭園形式となっている。池の中の蓬来島とは、不老不死の神仏の住む島を蓬来といった故事になぞらえて築かれたものであり、実際に水がなくても築山状にして島をかたどるようになっている。心字池とは心という字の形に池が作られているというが、池の汀線が複雑になっている池をいう。枯山水という言葉の解釈は多種多様だが、水を用いずして水のもつ自然を再現、あるいは象徴した庭園技法のことである。三尊石とは三尊を表現した石のことで石をたてて用いる。この池に座禅石、敷砂、石燈寵なども庭園には欠かせない。 |