■仏教の世界
●仏法僧の三宝とは
仏宝とは仏陀であり、法宝とは仏教、僧宝とは仏教徒をいう。聖徳太子が7世紀に「十七条憲法」を発布したが、その第二条に「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」とある。仏法僧とは全仏教徒の従うべく最高の指導原理であるともいえる。仏とは、悟りをひらいて仏となることであり、法とは悟りの内容となる真理そのものであり、僧とは、悟りに向う人びとのことである。
●三法印とは
仏教では、この世の事象のすべてを三つの基本的立場で考える。それが「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」である。これを「三法印」という。「諸行無常」とは、この世のすべてのものが絶えず変化していることで、盛者必滅、会者定離にたとえられる。「諸法無我」とは、この世のすべてのものは関連しており、依存しあって存在するもので、どれひとつとして孤立するものもなく、我の実体は無いことをあらわす。「涅槃寂静」とは、時間的、空間的なものに目覚めて、人間の真の生き方をするためには我執を離れることであるとする。
●四諦と八正道とは
釈尊が悟りを開いて仏陀となったとき、鹿野苑(サルナート)で最初に五人の弟子に説法した。これが仏教の基本原理である四諦と八正道の教えである。四諦とは、苦・集・滅・道の四つの真理をいい、この真理を実行するための教えが八正道である。八正道とは正見、正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の実践である。
●三学と六波羅蜜とは
いかにして八正道を歩み、悟りに至るかに対し、その実践徳目として、戒、定、慧を掲げている。これを三学という。戒とは戒律で、最低限で五戒、つまり不殺生戒、不邪婬戒、不妄語戒、不飲酒戒、不倫盗戒である。定とは禅定のことで、精神を統一して外界の現象に惑わされない所へ身を置くこと。慧とは知慧のことで戒律と禅定が正しく作動したときの姿をあらわす。大乗思想のなかで、この三学をより実践的徳目として拡大したのが六波羅蜜で、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知慧の六つであり、この六つの徳目を実践することにより正道を歩むことができるとする。
●十人弟子とは
仏教の修行にはさまざまあるが、その修行法を説くときに釈尊の十人の直弟子の修行をもって説明される。十人の弟子たちはそれぞれにそれぞれの分野で道をきわめた人たちであり、釈尊自身でさえも、他の弟子の見本として十人弟子の修行を指摘したといわれている。智慧のシャーリプトラ(舎利弗)、神通力のマウドガリャーヤナ(目蓮)、頭陀行のマハーカーシャパ(大迦葉)、天眼のアニルッダ(阿那律)、解空のスプーティ(須菩提)、説法のプンナ(富桜那)、論議のカティヤーナ(迦栴延)、持律のウパーリ(優婆離)、密行のラーフラ(羅喉羅)、多聞のアーナンダ(阿難)を十人弟子という。
●お経の数はいくつある
俗に八万四千の法門といわれるように、膨大な数の仏典があり、正確な数は定かでない。釈尊入滅後百年あたりから、仏教教団は上座部と大衆部とに分かれ、それぞれの多くの部派に分立した。上座部派はパーリ語の経典を後に伝える素地を作り、大衆部派は梵語の経典を作り、中国や日本に伝わる大乗仏教のもとを作ったと考えられている。パーリ語で書かれた南伝大蔵経は小乗経典類を生み、梵語で書かれた北伝大蔵経は大乗経典類、という二つの流れとなって今日に至っている。
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