社会の大変動による激動期になると、貴族に代わって武士が台頭し、一般民衆の意識も高まるにつれ、無常観にもとづく末法思想が流行、浄土信仰が一段と高まっていったのである。古代からの土地制度が崩壊し、武士、蒙族の進出によって、国家的仏教は無力化し、民衆はめまぐるしい変動に生き抜く基準や法則、理論が必要となってきた。新しい価値観新しい人生観、世界観を求める時代的背景が渦巻き、古い観念や倫理、体系を捨てた新しい思想が求められる真只中で鎌倉幕府が開かれ、仏教も新しい時代をむかえるのである。
『現代仏教情報大事典』より引用
発行所(株)名著普及会 発行者小関貴
西暦 |
政治・経済 |
文化 |
世界の動き |
1192 |
源頼朝-征夷大将軍となる
{鎌倉幕府の成立}
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1191-栄西帰国、
臨済宗を広める |
1202-第4回十字軍 |
1193
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宋銭の流通を禁止 |
☆西行『山家宗』 |
1204-
コンスタンティノーブル
を占領 |
1199 |
農業技術-二毛作開始
北条時政ら13人の
合議制開始 |
1198-
『法然撰択本願念仏集』 |
1206-チンギスハン、
モンゴル統一 |
1203 |
源実朝-征夷大将軍
時政-執権執権政治開始 |
1199-東大寺南大門再建 |
1215-
英、マグナカルタ制定 |
1221 |
承久の乱
六波羅探題設置 |
1202-栄西、建仁寺建立 |
1236-バトゥの西征 |
1223 |
新補地頭始まる |
1203-運慶・快慶
『金剛力士像』 |
1241-独、ハンザ同盟成立 |
1224 |
北条康時執権
連署始まる |
☆「源頼朝像」 |
1258-アッパース朝滅亡、
イルハン国成立 |
1225 |
評定衆設置 |
1205-藤原定家ら
『新古今和歌集』 |
1261-
世祖フビライ即位 |
1232 |
御成敗式目(貞永式目)制定 |
1212-鴨長明『方丈記』 |
1271-
モンゴル、元と称する
マルコ・ポーロ、東方旅行 |
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☆ 下地中分執行 |
1214-源実朝
『金槐和歌集』 |
1299-
オスマントルコ建国 |
1249 |
引付衆設置 |
☆親鸞、浄土真宗を広める
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{ルネサンス時代開始} |
1274 |
文永の役 |
1220-慈円『愚管抄』 |
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1281 |
弘安の役 |
1224-親鸞『教行信証』 |
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☆市の発達、座結成 |
1227-道元、曹洞宗を開く |
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1285 |
得宗専制化 |
1244-道元、永平寺建立 |
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☆ 持妙院・大覚寺
両統迭立協議 |
☆『平家物語』 |
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1293 |
鎮西探題設置 |
1253-日蓮、
日蓮宗を広める
蘭渓道隆、鎌倉建長寺建立 |
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1297 |
永仁の徳制令 |
☆北条実時、金沢文庫設立
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{貨幣経済の発達}
☆宋銭流通、問丸・為替・
借上出現 |
☆『吾妻鏡』 |
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1321 |
後醍醐天皇、親政開始 |
1274-一遍、時宗を開く |
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1324 |
正中の変 |
☆康勝「空也上人像」
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1331 |
元弘の変
楠木正成挙兵/護良親王挙兵 |
☆「平家物語絵巻」 |
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1333 |
足利高氏、六波羅探題破る
新田義貞、鎌倉攻略 |
1280-『十六夜日記』 |
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{鎌倉幕府滅亡} |
1282-無学祖元、
円覚寺建立 |
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1285-円覚寺舎利殿建立 |
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1291-南禅寺建立 |
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1293-「蒙古襲来絵詞」 |
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1299-円伊
「一遍上人絵伝」 |
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1309-高階隆兼
「春日権現験記」 |
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☆吉田兼好『徒然草』
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