か行の仏教用語
か
我(が)
自我の意。行為主体としての自己。永遠不滅の本体。自己主観の中心となるもの。仏教ではこのような常恒の我を認めない。存在は縁起によってなるものとし無我の立場をとる。
戒定慧(かいじょうえ)
戒と定と慧。三学ともいう。仏道修行者の必ず修学実践すべき根本的なことがら、悪を制するを戒、心の動揺を静め瞑想するを定、真実を証するを慧という。
過現未(かげんみ)
去現在未来の略。三世のこと。巳今当、三際ともいう。仏教では、時間を実在するものとは見ず、変化する存在の変遷の過程を仮に三つの区別を立てたにすぎない。
餓鬼(がき)
つねに飢餓に苦しむという無縁の亡者をいう。死後の法要が行われなかった死者の霊魂。「鬼」は中国での死者の霊を意味する訳語。こどもが食物をむさぼるさまを餓鬼にたとえた。
覚悟(かくご)
眠りからさめること。真理を体得して悟りを得ること。あきらめること。観念すること。あらかじめ心の用意をすること。迷いをふっきって腹をくくること。
学者(がくしゃ)
仏教の修行者、仏教を学ぶ者、道にいそしむ人をいう。中国文化を学ぶことはすなわち「仏教」を学ぶことであった。現在では学問研究を業としている人をいう。また物知りをからかっていう。
加持(かじ)
加は加被、持は摂持の意。仏日の影が衆生の心水に現ずるを加、行者の心水よく仏日を感ずるを持という。仏の絶対慈悲が信者の心に加えられて、行者が信心によってその慈悲を感得すること。
過失(かしつ)
あやまち、欠点、とが。執着または享楽からおこる苦悩、わずらい。あやまちを非難すること。
伽陀(かだ)
梵語ギャーターの音写。諷頌、偈、偈頌と訳す。韻文体の経文。長行部の趣意を再び韻文で表わした応頌と区別して孤起頌という。また法会の時、一定の曲譜をもって諷誦する偈頌。
火宅(かたく)
煩悩と苦悩に満ちたこの世を、燃えている家に喩えていう。炎につつまれた恐ろしい世界。迷いの世界。娑婆世界には苦悩ばかりで安らぎがなく、ちょうど燃えている家の中にいるようだ、の意。
我他彼此(がたぴし)
我と他、彼と此が対立していさかいやもめごとの絶えないこと、そこから、物がぶつかって発する音、さわがしいありさまをいう。組み立てが悪く、ゆがんで音をたてること。
喝彩(采)(かっさい)
もと中国でかけ声をかけてさいころを投げることから、感心して声をあげ、手をたたいてはやすことの意に転じた。「喝」は修行者を策励するために発する声。禅門でいう。
我慢(がまん)
みずからたのんでおごりたかぶること。我意を張ること。うぬぼれ。そのような人にたいして「それを我慢という」と教え、忍耐を説いたことから、我慢即忍耐の意に転じた。
伽藍堂(がらんどう)
僧伽藍摩の略。僧院、寺院の意から、その建物をさすようになった。その建物の広さを、他の建物などに転用して、「がらんのようだ、がらんとしている」といい、さらに「堂」を加えたもの。
迦陵頻伽(かりょうびんが)
梵語カラビンカの音写。好声・妙声・美音・美音信・好音鳥と訳す。ヒマラヤ山中にいる美声の鳥。極楽浄土に住む鳥、浄土曼荼羅には人頭鳥身にえがかれている。
可愛い(かわいい)
本来「かあい」と読む。愛らしいもの、欲するもの、うるわしいこと。本義は「愛着心」を起こさせる頭脳の対象としていったもの。
瓦(かわら)
梵語カパラ(迦波羅)に由来し、粘土を一定の形に固め、かまで蒸し焼きにした皿または鉢、さらには骸骨の意。船の竜骨の意。寺院建築の際、屋根に同じ方法で焼いたものを用いたのでいう。
灌頂(かんじょう)
頭に水をそそぎかけること。古代インドの国王の即位のとき行った儀式。仏の位にのぼるための密教の儀式。伝法灌頂、弟子灌頂、などがある。五智の瓶水を散杖で頭頂にあてる。
勤請(かんじょう)
真実の心をもって仏に永くこの世にとどまって説法し、衆生を救わんことを請願すること。新たに神仏の霊を移したてまつること。仏・菩薩に降臨することを請願する経文、式次第。
勧進帳(かんじんちょう)
人を勧めて仏道に入らせ、善根功徳を積ませることから、堂塔・仏像の造立修理の際に寄付をつのるべく趣旨を記したものをいった。そのために興行をうったので勧進元の名ができた。
勘辨(かんべん)
物事の理非善悪をよく考え、わきまえること。修行者の力量・素質の程度を試験することをいった。転じて忍耐づよいこと。さらに、自分が忍耐して相手を許すこと、に転じた。
甘露(かんろ)
天から与えられた不老不死の甘い霊薬。梵語アミリタの漢訳。仏の教え、悟りが、苦悩をいやし、長命ならしめるところからたとえていった。転じて、美味なることをほめていう。
き
帰依(きえ)
帰も依も「よる」の意。帰命ともいう。すぐれたものに帰順し、よりすがること。絶対の帰順。信じてよりすがること。まごころを捧げる。信仰の意。絶対の信を捧げ、よりどころとすること。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)
中インドの精舎。スダッタ長者が釈迦とその教団のために建てた僧坊。祇樹給孤独園に建てられたので祇園という。多くの説法がここでなされた。
機嫌(きげん)
もと譏嫌と書き、世間から受けるそしりや嫌悪を意味した。そうされないために自ら慎んで相手の出方を待つ意が生じ、相手の思惑や気持ち、様子、安否を意味するようになった。
祈祷(きとう)
祈願、祈念、祈請ともいう。仏・菩薩の冥助を仰いで除災招福を祈ること。仏力の加護を求め種々の功徳を勧めることにより、除災できると考えた。密教では種々の祈祷がなされ護符がだされる。
帰命(きみょう)
梵語ナマス、南無の漢訳。いのちをささげて、たのみまつる、の意。自己の身命をさしだして帰依すること。本願招喚の勅命。諸仏の教命。それに従うこと。
鬼門(きもん)
うしとら・北東の隅は常に、悪魔の出入りする門戸であるとし、あるいは又その方角に鬼星の石室があるとして、その方角を忌むこと。転じて苦手な人・場所・事柄についていう。
境(きょう)
対象。外界の存在。現象。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根、機官に対して、色・声・香・味・触・法の六境がある。心の状態、境地をもいう。人それぞれ認識に差があることをいう。
教化(きょうけ)
きょうげ、とも読む。人を教えさとし、苦しむ者を安らかにし、疑うものを信仰に入らせ、誤った人を正しい道に戻すこと。教導感化して善におもむかせること。教道感化の略
教外別伝(きょうげべつでん)
ことばや文字の説法の他に、別に心から心に伝えられるものがある、の意。仏教の神髄は、どの教えの中でも伝えることはできず、心から心へと体験によってのみ伝えられること。
行水(ぎょうずい)
潔斎のため清水でからだをきよめること。食事の後、鉢や手を洗うこと。のちに湯水をたらいに入れてからだを洗うことをさして言うようになった。
形相(ぎょうそう)
すがた、かたちのこと。とくに厭うべきものとして用いられる。憤怒(ふんぬ)の形相とか、ものすごい形相というように。
教相判釈(きょうそうはんじゃく)
教判ともいう。中国仏教の特質。多数の経論を整理し、あるひとつの経・論を根拠において他の経論との関係を明らかににすること。諸経典を分類、体系づけて立宗の要とした。
義理(ぎり)
ことわり、道理、正しいすじみち。ためになること。教えられていること。経典の説く意義・道理。人の踏み行う道。さまざまな対人・交際関係で、立場上務めなければならないと意識すること。
金言(きんげん)
仏の金口(きんく)から出た不滅の法語。説法。真理のことば。現在では、西洋の偉人、哲学者、芸術家などの名言をいう。
く
空(くう)
もろもろの事物は因縁によって生じたものであって固定した実体はない、ということ。人間の自己のなかにも、存在するすべてのなかにも実体としての自我はなく因縁によって成っているということ。。
遇茶喫茶(ぐうさきっさ)
茶に遇うては茶を喫す、と読む。悟りを得た人は淡々と生活をして、なんのこだわりもなくそのままが仏道の生活である、という意。碧巌録のことばである。遇飯喫飯と同じ。
恭敬(くぎょう)
つつしみうやまうこと。尊敬すること。うやうやしく仰ぎみること。
弘誓(ぐぜい)
菩薩の広大なる誓い。一切衆生をもらさず救おうという広大なる誓い。阿弥陀如来が菩薩のときに発願した四十八の誓い。または菩薩道を修める者に必要な四つの誓い(四弘誓願)など。
具足戒(ぐそくかい)
比丘・比尼丘の守る戒律。大戒ともいう。比丘は二百五十戒、比尼丘は三百四十八戒。仏教教団にはいることを意味する。具足とは、完全な、欠けたもののない、の意。
九品(くほん)
九種類という意。浄土教で分けられた九つの階位。上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生、の九つ。九品浄土、九品弥陀、九品印、九品往生などという。九種類の浄土、往生などがあるということ。
葷酒(くんしゅ)
葷とは臭気のある野菜で、葱、韮、らっきょう、にんにく、はじかみなど。鳥獣魚肉の意とも。酒を飲むことはもちろん、葷を食することは臭気の不浄さと精力つくため禁じられた。
群生(ぐんしょう)
衆生のこと。この世に生をうけた多くの生類、人々、世界の人々。群類ともいう。
け
加行(けぎょう)
正行にたいしていう。準備段階としての行。前行。密教で灌頂・授戒・伝授などを受ける前に行う特定の前行のこと。禅宗・浄土宗などでは付法・受戒の際にその前段階として修行が行われる。また、後天的な努力によって得られたものもいう。
解脱(げだつ)
のがれること。解き放たれること。苦しみから解かれのがれること。束縛から解かれて精神が自由になること。迷いを離れ、真実を悟り、完全な精神的自由を得ること。
結縁(けちえん)
釈迦の教えを集めまとめること。聖典を編集すること。釈迦入滅後、教団の統一を維持するために代表者が集まり遺教の合誦を行ったことをいう。釈迦在世中は直接教えを乞い確かめられたが、滅後は各自の記憶を持ちより成文化する必要が生じた。滅後まもなく第一回目の結集、滅後百年のころ第二回、滅後二百年で
結集(けつじゅう)
釈迦の教えを集めまとめること。聖典を編集すること。釈迦入滅後、教団の統一を維持するために代表者が集まり遺教の合誦を行ったことをいう。釈迦在世中は直接教えを乞い確かめられたが、滅後は各自の記憶を持ちより成文化する必要が生じた。滅後まもなく第一回目の結集、滅後百年のころ第二回、滅後二百年で第三回、二世紀のころ第四回の結集
血脈(けちみゃく)
師資相承という。師から弟子に仏の教えが絶えることなく受け継がれていくこと。その系譜。師から弟子に与える証明書のようなもの。在家の結縁者に与えられる教法相承の略譜。
外道(げどう)
インドでの仏教以外の他宗教の教え、またその信奉者。異教徒、仏教以外の宗教家、修行者。外教・外法・外学ともいう。仏教のことは内道・内教・内法・内学という。正道ではないもの、異端。
化仏(けぶつ)
仏・菩薩が神通力で、仮にこの世に姿を現すこと。衆生の性質や能力に応じて種々の姿を現す化身。仏の分身。衆生済度のため姿を変えた仏。本地仏を表すための頭部の仏。
顕教(けんぎょう)
密教の対。密教以外の一般仏教。釈迦の直接説いた教え。言語や文字によって明らかに説き示され、また読むものに理解されやすい教え。
見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
禅門でいう。自己の本性、または人間の本性を徹底的に掘り下げ、なお、なにも見るべきものはない、と見きわめたとき、その身そのままが仏である、と悟ること。
こ
劫(こう)
カルパ、カパの音写。インドの時間の単位のもっとも長いもの。永遠、無限の時間。測定できない長い時間。四方一由旬の大磐石を百年に一度白 (びゃくせん)で払いその石がなくなっても劫は終わらないという。
公案(こうあん)
公府の案牘の略。政府の法案、定法。転じて、禅宗で万人のよるべき、もっともな道理を表すものの意で、祖師の言句、問答、禅の課題、手引き、参究テーマ、をいう。
向拝(こうはい)
ごはい、とも読む。建物の入口である階段の上にさしだした階隠。本屋根につぎたして小さい屋根をさし出したすがる破風や唐破風がある。向拝柱で受けて海老虹梁(えびこうりょう)で本建物とつないだ。
光背(こうはい)
後光・御光ともいう。仏・菩薩の光明をかたどり仏・菩薩の背後に立てる。頭光と挙身光がある。宝珠光・放射光・傘後光・二重円光・舟形光・火焔光などがある。
虚空(こくう)
空間、おおぞら、空中。虚にして形がなく、空であり、その存在が他の障害とならないために虚空と名づける。無限、遍満(へんまん)のたとえ。物の存する場としての空間。法身のこと。
虚仮(こけ)
虚偽で真実でないこと。うそいつわり。見せかけのこと。外面と内心とに相違があること。真実のこころがないこと。思慮が浅いこと。浅薄で深みがないこと。愚かなこと。その人やそのさま。
居士(こじ)
家の主、家に居る男子(外に出て働かなくてもよい)。資産者。中国では学徳が高く仕官していない人。在俗のまま仏門に帰依している男子。男子の法名の下につける称号。
後生(ごしょう)
今生にたいして来世、後世、来来世。次の世。死後にふたたび生まれかわる世。死後に極楽に往生すること。「後生だから」と頼むのは「後生一生・現世来世を通してのおねがい」の意。
権現(ごんげん)
権化、応現、化現などと同じ意。仏・菩薩が衆生済度のために仮に姿を現すこと。「権」は「かりの」の意。日本古来の神々は仏、菩薩がこの世に仮に現れた姿であるという意。
金剛(こんごう)
きわめて堅く破砕しないこと、ダイヤモンドを金剛石という。金剛杵、金剛喩定、金剛力士などの略。金剛の堅固な性質を転じて、最上・最勝・不変・不壊の意に用いる。
魂魄(こんぱく)
心身の異名。魂は、霊の働きがあって形がないもの、魄は形があって霊・心識のよりどころとなるもの。肝を司るものを魂、肺を司るものを魄という。自己存在の根源的生命。
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