真言宗醍醐派
〔沿革〕
宗祖弘法大師空海入定後、四代目の法孫である理源大師聖宝(832~909)によって開創。聖宝は真言宗小野法流の始祖、大峯山修験の開祖であり、醍醐寺は修験道恵印法流の本山としても、真面目を発揮。新たに真言の教学と事相の中心地として栄える。聖宝の系統を小野流と呼び、この法流はさらに分派、小野六流となる。聖宝の門下に出た観賢(853~925)は、空海に弘法大師を奏請し、また高野山奥ノ院を整備、弘法大師の入定信仰、いわゆる入廷留身、分身散影の信仰を確立した。醍醐、朱雀、村上各聖帝の大きな庇護のもとに、山上山下に大伽藍を造営、古義真言の独立本山、真言修験の本寺として隆盛をきわめる。戦国時代、幾度も兵火にあったが、桃山時代に大復興し、現在に至る。
〔教義〕
『現代仏教情報大事典』より引用
発行所---(株)名著普及会/発行者---小関貴久