【寺院名】天澤山 龍光禪寺(りょうこうぜんじ)

【宗派名】臨済宗 東福寺派
【別名】
【住所】東京都文京区本駒込1-5-22
【本尊】釈迦如来座像
【開山】虎伯大宣禅師(東福寺240世、鈴鹿龍光寺中興24代)
【開基】 肥前唐津城主(小笠原壱岐守忠知公)、讃岐丸亀城主(京極刑部少輔高知公)
【由緒】寛永年間のはじめ、伊勢(鈴鹿)龍光寺虎伯禅師は、三代将軍家光公に請われ、芝の金地院に於いて禅書「碧巖録」を講じてよりその名声は一時に高くなり、諸候を始め知名の人々も日を追って帰依するに至った。当初、親交のあった幕府の主官医・大橋隆慶法印の宅畔に僅かばかりの土地を借りて小庵を営んでいたが後に牛込矢来下官地若干を賜り、ここに一宇を建立して、伊勢と同じく天澤山龍光寺と称し、伊勢龍光寺の別院とした。中でも特に信仰の深かった京極、小笠原の両氏は廟所を当寺に定め、それにより両氏を当時の開基とした。明暦2年、此地は御用地となり、酒井讃岐寺により豊島郡駒込村(現在地)に3600坪を拝領し移転改築した。
【寺宝】早春賦ゆかりの寺 愛唱歌「早春賦」の作詞者として知られる吉丸一昌氏(1873〜1916)は、故郷の大分県臼杵市より上京して間もない東京帝国大学時代、当山に一時身を寄せていました。氏は後に数々の名唱歌を作詞するとともに「修養塾」を創設、向学の志ある青少年たちに無償で勉学の場を与えました。現在では「早春賦ゆかりの寺」として一昌氏のお墓を訪れる方もあります。