【寺院名】大聖金剛山 息障院 明王寺(みょうおうじ)
【宗派名】真言宗智山派
【別名】
【住所】〒400−0515 山梨県南巨摩郡増穂町舂米2 明王寺
【住所】〒400−0412 山梨県中巨摩郡甲西町東南湖242−4
【本尊】大聖不動明王
【開山】儀丹行圓上人
【開基】
【由緒】出生は不詳 但し里人並びに代々住職の口伝によれば、藤原不比等の縁故の人という。そのことは明王寺山山頂部にある「藤塚」は上人の墓所であり、藤原氏の『藤』を用いて藤塚と称しています。
上人は始め三論宗を学び、唐に渡り仏教の奥義を極めて帰朝し、天平神護年間に伊豆国で一寺を建立した後、北の空に輝く瑞光の源を求めんと甲斐に入り、利根川の上流で大きな滝に至り、ここが修行の適地として日夜苦行を重ねました。やがて不動明王の感応があり霊像を持して、山を下り現在の地に至りて明王寺を開創したのでした。古来から明治の頃までは6月28日を上人の命日として、儀丹之滝まで登山をしていました。
正しくを「大聖金剛山息障院明王寺」と言い、長い寺号は古刹である証です。本尊は大聖不動明王で、他に四大明王を配しています。 開創当時は三論宗から華厳宗東大寺末となり、やがて密教が伝えられ真言宗に改宗しました。古くから山岳修行の適地であった為、密教の教義を伝える真言宗京都山城醍醐寺報恩院末となり、修験道の道場として加持祈祷を盛んに行い、長い間甲斐国真言七談林に数えられ、法灯伝承の寺として位置づけられていました。明治27年から現在の真言宗智山派属しています。
また、明治の頃まで末寺として、竜王新町の光善寺と信州佐久郡川上村の宝蔵院があり、法脈を受け継いでいました。
【寺宝】 薬師如来立像
平安初期(9世紀末〜10世紀始) 国重要文化財指定(明治39年国宝指定) / 鰐口(わにぐち)
鎌倉時代前期 貞応3年(1224年) 国重要文化財指定(昭和40年5月指定) / 不動明王版木 室町時代 文明9年(1477年) 県指定文化財(昭和44年指定)
/ 不動明王像複製画 1000円(原寸大)