【宗派名】真言宗醍醐派 末寺
【別名】
【住所】熊本県八代市興善寺町1819
【本尊】十一面千手観音
【開山】【開基】敏達天皇之御宇12年(583)
【由緒】明言院の前身は、敏達天皇之御宇12年(583)、日羅太子がこの地を霊地と悟り一寺を開創したのが始まりである。大化の改新により8代郡寺となり、8代郡司の政庁寺となったが、天平の大災害で倒壊。その後再建され、治承2年(1178)には月山禅誉和尚を1世として、寺名を竜ケ峯山興善寺とした。その後衰退し廃寺となるが、正平7年(1352)征西大将軍懐良親王の手により祈願寺として興善寺跡に護国山顕孝寺を建立、臨済禅の大方恢和尚を1世として禅宗の寺となる。以後顕興禅寺と改称するが、天正16年(1588)、小西行長の兵火により廃寺となる。寺領は没収されたが数々の仏像、寺宝は地元民の手により守られた。以後、仏像保存堂が建立され、万治2年(1659)7月18日、真言宗の明言院秀盛僧を1世として竜ケ峯山明言院として中興され現在に至る。
【寺宝】毘沙門天--楠一木造、像高142.1センチメートル(国指定文化財)/十一面千手観音--木造(市指定文化財)