【宗派名】顕本法華宗(中本寺格)
【別名】
【住所】千葉県山武郡九十九里町小関842
【本尊】宗祖日蓮大聖人尊定の「大曼陀羅」(一塔二尊四師)
【開山】日什大正師
【開基】日伝(領主酒井定隆)
【由緒】戦国争乱群雄割拠の文明年間(1469-87)、酒井定隆の改宗令(長享2年・1487)により、真言宗から顕本法華宗に改宗した所謂「七里法華」の寺院である。しかも、同寺はその領地の最東端の地にあり、定隆の命によって同地支配居住の家臣小関五郎左衛門および成川玄蕃の両武将により建立された。境内地約五町歩、徳川期末までの建造物として、本堂、本坊、山門、鐘楼、番神・鬼子母神両堂、坊室六棟、門番所など、輪奐の美を誇っていた。しかるにこれらの建物は、山門を残して大正初期の台風にて損壊し、仮本堂・庫裡等で終戦を迎え、昭和56年(1981)本堂再建、平成3年(1991)庫裡新築。本堂奥殿増設、及び坊室改築を完成成就した。我国の地理・天文学の先駆者伊能忠敬(1745-1818)は、その幼少年期を同寺住職の教育を受けて過ごし、その生家の墓所が境内に在る。徳川中期の折衷学派の太田錦城学系の西山翰海、長沼祐達、目黒自琢、藤代季園など、同寺を基盤として孔孟儒学を講じ、また医薬を施して広くこの地方の文化に貢献し、その後も幾多の有能な人材を輩出している。
【寺宝】祈祷経(宗祖御書)応永12(1405)年日運(日什大正師弟子)書写/その他町指定文化財 8件