【寺院名】田生山 満性寺(まんしょうじ)

【宗派名】天台宗
【別名】菅生院
【住所】愛知県岡崎市菅生町字元菅57
【本尊】阿弥陀如来
【開山】親鸞聖人
【開基】安藤了専上人
【由緒】満性寺は往古真言宗の霊地だったが兵火のため焼失し、聖徳太子16歳の尊像のみ残り、菅の原となって久しかった。その後、真宗の開祖親鸞聖人の弟子である源海上人が河内国荒木満福寺におり、その直弟に了専という僧があった。了専は河内の兵乱を逃れて、正応2年(1289)、三河の菅生の郷へ、太子2歳南無仏像と太子直筆の阿弥陀経とを笈の中に納めて持ち帰り、菅の原を引き平げ一宇を建立し、荒木満福寺を改め田生山菅生院満性寺と号した。後に正安3年(1301)、菅生の郷司高松本の大上藹より境内寄附の証状を贈られた。開基了専上人は俗姓安藤氏右馬三郎泰継の四男寂秀と云い、舎弟三郎五郎親重は同じく正応2年(12899、河内より三河に至り菅生に住し、鋳物工を興して、岡崎鋳物師の元祖と云われている。満性寺開基後年月積もって、今日まで700年に至る。
【寺宝】聖徳太子南無仏立像(県文)/聖徳太子卅五歳勝鬘経講讃 孝養の図(県文)/善光寺如来絵伝(県文)/法然上人絵伝(県文)/五色紙阿弥陀経(県文)/三国光明品(市文)/古書写(市文)/その他多数