【寺院名】八幡山 宝福寺(ほうふくじ)

【宗派名】浄土真宗本願寺派
【別名】おきちでら
【住所】静岡県下田市下田町1-18-26
【本尊】阿弥陀如来
【開山】本願寺十一代顕如法孫
【開基】権大僧都了善
【由緒】宝福寺は永禄2年(1559)11月、織田信長の圧迫から逃がれ、本願寺第11代顕如並びに法孫釈了善により真言を改め開基された。文久3年(1863)1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂に、勝海舟が来山し、坂本竜馬の脱藩の罪の許しを乞い、許されている。嘉永7年(1854)日米和親交渉にあたり、日本全権の本陣となり、下田奉行所が置かれていた。また慶応元年(1865)韮山代官江川太郎左衛門英武の本陣となり、農兵調練所でもあった。その後、明治に入ると、宮城の修復のため寺有地の大半を売却して協力し、菊の紋章の使用を許され、また、第1回徴兵検査場として使用されたり、賀茂郡役所として利用されてきた。宝福寺は、唐人お吉の菩提寺として人々に広く知られており、隣接する唐人お吉記念館とともに多くの人々が足を運んでいる。
【寺宝】本尊木像阿弥陀如来/唐人お吉の墓/唐人お吉記念館--唐人お吉は明治24年(1891)3月、お吉ケ淵で投身し、宝福寺住職竹岡大乗師が慈愛の心からその身を引き取り、懇ろに埋葬し釈貞歓尼という法名を贈っている。