【宗派名】真言宗醍醐派 準別格本山
【別名】
【住所】大阪府南河内郡河南町弘川
【本尊】薬師如来
【開山】役行者
【開基】
【由緒】弘川寺は、天智天皇の4年(665)に役行者が法華経二十八品に配して金剛・葛城の連山に28ケ所の霊場を開かれた随一で、大阪府史蹟指定の古名刹である。天武天皇白鳳5年(676)の夏、天皇は同寺に請雨の祈願を命じ、白鳳8年(679)の春行幸し、勅願寺となった。その後天平9年(737)には行基が同寺で修行し、弘仁3年(812)には弘法大師が嵯峨天皇の命によって中興され、密教の霊場と定められた。文治4年(1188)後鳥羽天皇が御病気の時、同寺の座主空寂上人は宮中に於て尊勝仏頂の法を修し回癒したので、その功により奥の院善成寺を建て、寺号の勅額を賜わった。また、歌聖西行法師が晩年の文治5年(1189)、空寂上人の法徳を慕って来、ここに居住し、翌年2月に73才で入寂された。寛正4(1463)年、河内国畠山氏の戦いの際、堂宇を焼失したが、本尊薬師仏、勅額などは兵火を免れ、今日に現存奉安している。
【寺宝】弘法大師像(府文)/空寂上人像(府文)/後鳥羽天皇勅額(府文)/西行法師像/正親町天皇宸翰(重美)/西行物語絵巻/似雲筆「としなみ草」20巻/天然記念物 カイドウ/その他多数