【寺院名】星野山 中院(なかいん)

【宗派名】天台宗 別格本山
【別名】勅願寺
【住所】埼玉県川越市小仙波町5-15
【本尊】阿弥陀如来
【開山】
【開基】慈覚大師
【由緒】中院の開基は、慈覚大師円仁により、人皇53代淳和天皇(在位823-833)の御代である。天長7年(830)円仁が仙波の霊場を天皇に奏上して勅許を得、芳道仙の古跡を起し、一寺を建立して星野山無量寿寺仏地院の勅号を賜わった。天慶4年(941)に至り、天慶の乱に遭い寺運は衰退し、その後元久(1302-03)の乱にて全く灰燼に帰した。永仁4年(1296)尊海僧正、成田氏の助力により、仏地院を再建し、天台の顕教、密教の教えを広め、関東天台の教寺580余ケ寺すべて同寺に属し、法灯盛んにして関東天台の本山の勅許を得た。また、若き日の日蓮上人は、尊海和尚の導きにより比叡山に登り、十有余年学を収め神髄を極め日蓮宗を開宗し、その後当山において尊海和尚により恵心流の伝法潅頂を受けた。天文6年(1537)再び灰燼に帰し、寛永9年(1632)28世尊能が中興したが、同15年類焼した。寛永16年(1639)29世乗鎮の時、幕府の命により現在地に移転し、享保18年(1733)本堂を再建した。昭和61年、昭和の文化財釈迦堂が建立された。尚、慈覚大師が開山の折、京より茶の実を携い、境内に薬用として栽培したのが狭山茶の起りであり、河越茶狭山茶発祥の地である。島崎藤村が義母加藤みき刀自に贈った茶室「不染亭」が平成4年6月9日移築上棟された。
【寺宝】恵心僧都筆二十五菩薩来迎図/慈覚大師作不動明王像/山越之弥陀/紺紙金泥法華経十軸/他