【寺院名】医王山 淨妙寺(じょうみょうじ)

【宗派名】臨済宗妙心寺派
【別名】
【住所】和歌山県有田市宮崎町小豆島
【本尊】薬師如来
【開山】如寳律師
【開基】乙牟漏皇太后
【由緒】医王山淨妙寺は、大同元年(806)に開創され、開基は平城天皇(在位806-809)の国母である乙牟漏皇太后が、疫病平癒祈願のため建立されたもので、開山は唐僧如宝律師(奈良唐招提寺第4世)であると伝えられる。淨妙寺は、もとは七堂伽藍を有する霊刹で、人々の信仰も厚く、多いに栄えていた。しかし、天正年間(1573-92)、豊臣秀吉の紀州攻略のとき、この地の豪族との戦で兵火に罹り、僧坊のほとんどが灰燼に帰してしまった。幸い薬師堂・多宝塔は奥の院に在り、その難をまぬがれ、現在、国の重要文化財に指定されている。その後、徳川時代に紀州徳川家初代藩主頼宣が有田の地に巡狩の際、その荒廃ぶりに目をとめ、薬師堂・多宝塔に大修理を加え、和歌山吹上寺開山・圭瑞禅師を招じ、復興がなされた。爾来、禅臨済宗妙心寺派となり現在に至る。
【寺宝】薬師堂方三間・寄棟造り・本瓦葺/多宝塔三間二層・本瓦葺/薬師如来/日光・月光菩薩/十二神将/蓮華唐草文螺鈿須弥壇(以上、国重文で何れも鎌倉中期作)/多宝塔内壁画(県文)/その他、多数あり