【寺院名】宝雲山 来振寺(きぶりじ)

【宗派名】真言宗智山派
【別名】
【住所】岐阜県揖斐郡大野町稲富397-1
【本尊】十一面観音
【開山】行基
【開基】
【由緒】来振寺は霊亀元年(715)行基菩薩により創建された寺で、初めは新福寺と称した。神亀2年(725)6月18日、黄金色の雪が尺余積もり、来振大神御降臨の神詞があったので、聖武天皇の勅号によって来振寺と改称し、七堂伽藍12坊を建立の上、勅願寺に列せられた。承平7年(937)現在の真言宗に属した。その後享禄3年(1530)付近の根尾川の大洪水によって寺領を流失し、永禄3年(1560)織田信長の兵火により、伽藍、僧坊を焼失し、二百数十名の僧兵は離散するに至った。宝永6年(1709)には来振寺より義山が智山第12世管長に就任した。現在、西美濃三十三霊場第2番・美濃新四国第55番の各札所となっている。また毎年2月3日の節分には「節分星まつり」と称して、柴燈大護摩供を修し、火渡り神事を行ない、不老長寿の笹酒や甘酒の接待と福豆が播かれるなど、絶えず人で賑わっている。
【寺宝】絹本着色 五大尊像(国重文)/薬師十二神将像図/十一面観音像木造/円空仏(大日如来)/大般若経/その他、工芸、書跡など多数