【宗派名】浄土真宗本願寺派
【別名】
【住所】佐賀県佐賀市呉服元町6−5
【本尊】阿弥陀如来
【開山】
【開基】寿閑
【由緒】願正寺は山号を宝海山と合資、浄土真宗本願寺派、本尊は阿弥陀如来である。肥後藩主・鍋島勝茂は、関ヶ原の合戦で当初西軍に属したが、西軍敗北の後、その謝罪について、西本願寺法主准如より受けた助力に報いるため、城下高木町に一寺を建立し、慶長5年(1600)本山から龍造寺惣道場の印を下賜され、開創した。開基は懐良親王に隋身した武士の後裔の熊谷寿閑である。その後、寛永2年(1625)には千葉土井築堤の決壊箇所を同寺一門で修築し、大坂の陣(1614-15)、島原の乱(1637-38)鎮圧のために藩に火縄を献上するなど、藩の保護に応えた。また天明4年(1784)から20年をかけて藩の難工事であった福富村の干拓事業を援助し、僧俗3万人の協力一致によってこれを完工したと「佐賀県干拓史」に記されている。こうした努力は広く人々の信頼を受け、今日に至っている。
【寺宝】寛保3年(1743)に本山から特別に下賜された宗祖親鸞の「等身の御影」/元禄9年(1696)から使われ「願正寺山の鐘」として知られる時鐘。/1702年建立された本堂欄間の彫刻は左陣五郎五代末流の作で、中国二十四孝説話を表わした珍しいもの