【寺院名】海晏山 宛陵寺(えんりょうじ)
【宗派名】曹洞宗
【別名】
【住所】長崎県松浦市今福町仏坂免958
【本尊】薬師如来
【開山】大圭本 大和尚
【開基】今福松浦家
【由緒】古代より、この今福の地に人が生活していたことは、つづら・万場・野々田・滑栄
などから石器や住居跡が発見されたことを見ても明らかで、古よりこの地方の要の土
地であったはずである。そう考えると、嘉保二年(1,095)今福松浦第一世となる源久
(みなもとのひさし)が検非違使として西下され、この今福に居を構えたのも肯ける。
これを機に今福はこの地方の政治上の中心地と成っていったのである。
源久(みなもとのひさし)は初めて今福の地に着した時は大晦日で、現在の今福神社
で一夜を過ごし、新年を迎えたらしい。それにより年の宮との呼び方が起こったといわれる。その折り神前に、付近に自生していた梶の葉に餅を三つ載せて供えたという。これにより、梶の葉と餅三つ(三つ星)が今福松浦家の家紋になった。その後築城した山城を梶谷城(勝屋城)という。
梶谷城完成の後、後進に位を譲り、坂野免の白木付近に隠居され、久寿元年
(1,154)逝去された。その後、この屋敷を寺院として建立したのが宛陵寺である。当時から地域住民の篤い信仰で支えられてきた。そして宛陵寺は昭和29年、地滑り災
害を回避する為、現在の仏坂免に移転されたのである。旧宛陵寺は、そのような歴史的遺産で松浦市指定文化財になっている。
【寺宝】松浦市有形文化財に指定された「古文書(こもんじょ)」が20通と、「家系図」が1
枚ある。最古のものは、明徳元年(西暦1,390年)の今福松浦家11代源延の土地の
寄進状です。曹洞宗としての開山・大圭(だいけい)和尚に宛てたものです。
大般若経600巻がある。康暦元年(1,379年)六月より天授六年(康暦二年・1,380
年)にかけて写経されたもの。
文明十一年(1,479年)第五世・月庭白和尚の代に修復されたもよう。
経箱は延宝四年(1,676年)第十二世・鐵叟大樹和尚の代に新調されたもよう。