【寺院名】如意山 厭離庵(えんりあん)

【宗派名】臨済宗天竜寺派
【別名】
【住所】京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町
【本尊】如意輪観世音菩薩
【開山】霊源禅師
【開基】中興大村彦太郎(白木屋)
【由緒】厭離庵は、山号を如意山と号し、臨済宗天竜寺派に属している。本尊に如意輪観世音菩薩を祀り、霊源禅師によって開山、後に荒廃して明治43年(1910)大村彦太郎によって中興された。この辺りはもと愛宕大権現の宿坊中院のあったところで、庵名は「欣求浄土・厭離穢土」に由来し、霊元天皇より厭離庵と名づけられる。鎌倉時代の武将・歌人である宇都宮頼綱の中院山荘と、藤原定家(1093-1165)郷の嵯峨の山荘時雨亭が隣接してあり、頼綱に山荘の障子に貼る色紙を頼まれた定家が、直に100人の名歌を選んで色紙を書いた。この小倉の色紙が、後世「小倉百人一首」の歌留多となったとされる。落ちついた静かなたたずまいの庵は現在は非公開となっていて、昔の寂けさが今に変わらず守られている。
【寺宝】如意輪観世音菩薩/定家塚/藤原為家の墓